作曲者 山田検校
曲名 葵の上
曲名カナ アオイノウエ
作曲年
楽器構成 歌、箏、三弦
楽曲編成 三つの車にのりの道、火宅の門をや出でぬらむ。夕顔の宿の破れ車、やる方なきこそ悲しけれ、憂き世は牛の小車の、廻るや報いなるらん。廻るや報いなるらん。およそ輪廻は、車の輪の如く、六趣四生を出でやらず、人間の不定芭蕉泡沫の世のならひ、きのうの花は今日の夢と、驚かぬこそ愚かなれ。 [合の手] 身の憂きに、人の恨みのなほそひて、忘れもやらぬ我が思ひ、せめてやしばし慰むと、梓の弓に怨霊の、これまで現れ出でたるなり。  [合の手] あらはづかしや、今とても、忍び車の我が姿。月をば眺め明かすとも、月には見えじ、かげろうふの、梓の弓の末弭に立ちより、憂きを語らん。梓の弓の音はいづくぞ。 [合の手] あづま屋の、母屋の妻戸に、居たれども、姿なければ訪ふ人もなし。 [合の手] 不思議やな、誰とも見えぬ上揩フ、破れ車に召されたるに、青女房とおぼしき人の、牛もなき車の轅に取りつき、さめざめと泣き給ふいたはしさよ。 もし斯様の人にてもや候ふらむ。大方は推量申して候ふ、唯包まず名を御名乗候へ。夫れ娑婆電光の境には、恨むべき人もなく、悲しむべき身もあらざるに、いつさて浮かれそめつらむ。只今梓の弓の音にひかれて、現れ出でたるをば、いかなる者とか思召す。これは六条の御息所の怨霊なり。われ世にありし古へは、雲上の花の宴、春の旦の御遊になれ、仙洞の紅葉の秋の夜は、月に戯れ色香にそみ。華やかなりし身なれども。衰へぬれば朝顔の、日影待つ間の有様なり。  [合の手] ただいつとなき我が心、物憂き野辺の早蕨の、萌え出でそめし思ひの露、かかる恨みを晴らさむとて、これまで現れ出でたるなり。思ひ知らずや世の中の、情けは人の為ならず。我れ人のためつらければ、必ず身にも報ゆなり。何を歎くぞ、葛の葉の。恨みはさらに尽きまじ。 あら恨めしや、今は打たではかなひ候ふまじ、あら浅ましや、六条の御息所ほどの御身にて、後妻打の御振舞、いかで、さることの候ふべき、ただ思召止り給へ。いや、いかにいふとも、今は打たでは叶ふまじと、枕に立ち寄り、丁と打てば、此上はとて立寄つて、妾は後にて苦を見する。今の恨みは有りし報い。瞋恚の火焔は。身をこがす。思ひ知らずや。思ひ知れ。 うらめしの心や。あら、うらめしの心や。 人の恨の深くして、憂きねに泣かせ給ふとも、生きて此世にましまさば、水暗き沢辺の、蛍の影よりも、光る君とぞ契らん。 [合の手] 妾は蓬生の、もとあらざりし身となりて、葉末の露と消えもせば、それさへことに恨めしや。 夢にだに、返へらぬものを、我が契り。昔語になりぬれば、猶も思ひは増す鏡、其の面影の、恥しや、枕に立てる破れ車、打ち乗せ隠れ行かうよ。 打ちのせかくれ行かうよ。
演奏時間 38分46秒
楽譜
音源
委嘱
演奏日 1971/06/25
演奏者 歌・箏 中能島欣一、歌 中能島慶子、箏 鈴木清寿・吉田純三、三弦 品川正三
備考 謡曲「葵上」のシテの出の一セイから「枕の段」といわれる段歌までをとる。山田検校作曲の奥四曲の一。謡曲の問答にあたるところは謡曲の味わいをきかせ、謡の部分には河東節をたくみに取り入れた変化に富む構成。
作曲者カナ ヤマダケンギョウ
曲名コード 46-a・B1
サウンド
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